文章が上手な人ってどんな人?

 

 実家の本棚を整理していたら、高校生の時の日記が出てきた。1ページ目には、「文章は伝えたいと思うことがあって初めて書けるものだと思う。どれだけきれいな言葉を知っていても、伝えたいと思う衝動がなければその文章は空っぽだ。だから私は、伝えたいと思うことを持ち続けたい」と書いてあった。

 

中2病のようですこし恥ずかしいけれど、なるほどなと納得させられた。記者1年目の時、いじめで自殺した中学生の女の子のお父さんからお話を聞いたことがある。娘さんの写真を前に、お父さんはなぜ家族思いの娘が死ななくてはならなかったのか、学校はどうしていじめに気づけなかったのかと心のうちをぽつりぽつりと語ってくれた。言葉は少なかったけれど、悔しさや怒り、やるせなさが痛いほど伝わった。話しを聞いてすぐ、いてもたってもいられなくなって、車の中で原稿をいっきに書き上げた。

 

デスク(上司)に原稿を出すと、ほとんど手をいれられないままの原稿が帰ってきた。記者になってはじめて「良い原稿だ」と言葉をもらった。

 

 あのときの記者1年目の自分の原稿が、上手な文章だったとは言えないと思う。でも、自分が感じた怒りや切なさは伝わったはずだ。どんなに言葉が稚拙でも、伝えたい気持ちの強さがあれば、読み手のこころを揺さぶる文章になる。逆に言えば、伝えたいことが何もない人の文章は、いくらきれいな言葉で飾っても空っぽだと読者に見透かされる。

 

良い文章を書くということは、心の中に大きな感情の渦を持っている人だ。記者になって5年、1年目よりも文章の技術は少しは上がった。その一方で、いろんな事件を見るうちに心が擦れ、純粋に感じる怒りや悲しみ、喜びが減っていってしまったようにも感じる。今の自分は、あのときのように書きたくていても立ってもいられないという衝動を感じられるだろうか。今一度擦れてしまった自分の感情に向き合って、伝えたいと思える気持ちを育てていきたい。